新薬と漢方薬の違い

 これまで漢方薬が良いと論じてきた学者・医師の中で、この2つを明快に区別して論じた人はほとんどいません。いやわかっている人は皆無であると言っても差し支えないかもしれません。


「漢方薬は自然のもので人間も同じ自然のものだから体にやさしい」と漢方薬を評価する方はよく言いますが、子供への説明ではないので説得力に乏しいと言わざるを得ません。
 一方で新薬を評価する方には「漢方薬や生薬など自然のものから抽出した有効成分の有効性をさらに高めたものだから、むしろ自然の成分より優れている」と言う方が多いのが実情です。しかしこれは以下に説明するとおり、全体的な代謝を全く考慮していないので無理矢理新薬を評価しようとする言い訳にすぎません。


新薬も漢方薬も体にとって「異物」である

このように書くと以外に思われる方がほとんどかもしれませんが、皆さんが御存知の有効成分と呼ばれる成分は、糖質・脂質・タンパク質・無機質のいずれでもありませんから、体に組み込んで利用するわけにはいかないのです。


炎症・痛みを止めたり、悪い菌を殺したりと身体のためになるはずの有効成分は、体内に入ってくると、速やかに解毒・抱合・排泄と代謝されます。つまり体は有効成分を嫌がって、いかに速く体外へ排泄するかと知恵を絞って代謝していることからもわかるように、どんなに優れた新薬でも漢方薬でも所詮「薬」は体にとって「異物」なのです。


「異物」である薬物を解毒する薬物代謝酵素群は交感神経作動性と大きく関わっていて、頻繁に薬物を体内に入れると外敵である「異物」が常に体内に入ってくる状態になるので交感神経興奮状態になり、不眠・慢性頭痛を始めとする体調不良に襲われるリスクが高まります。


人類は野菜など自然のものを代謝する能力を獲得してきたのですから、体に入れる物質についても同じ自然の代謝によってできる天然の成分ならば問題は起きません。 一方石油から化学的に製造された新薬は、効果第一主義で身体の代謝の負担まで考慮していませんから注意が必要です。


同じ異物でも漢方薬を勧める本当のわけ

新薬も漢方薬もわれわれにとっては異物ですから、もちろん基本的には人体の栄養素ではないので、あまり長期間にわたって服用するべきものではありません。しかし新薬と漢方薬は以下の理由で全く違うものであることを認識して頂く必要があります。


漢方薬・・・症状を抑えるものではありません。痛み・炎症・出血などはすべて血流や代謝が停滞して起こるものと考えます。漢方薬はその停滞した代謝能力を全身にくまなく流して代謝の「止」を「動」にすることで、痛み・炎症・出血などを分散してなくしてしまいます。代謝を「川の流れ」に例えると、ところどころにゴミがたまってできた「ダム」のせいで流れが滞ったり、周囲へあふれてしまった状態をゴミを取り除くことによって元通りの川に戻す作業を行います。


新薬・・・・原因はあまり気にしていません。痛み・炎症・出血などはすべて体にとって悪い反応であると決めつけていますので、とにかくこれらを止めて日々の生活を送ることができるようにすればよいと考えます。川の流れに例えると、ゴミがたまって流れにくくなった場所を元通りに治すのではなく、洪水が起きないようにその部分に水を流れなくしたり、導水路を別に付け替えて流れを変えてしまう改修工事(手術)とかによって事故の起こる確率を下げる手段をとるだけです。決して元通りにもどそうとするわけではありません。


新薬は一般にそのほとんどが代謝を「止める」薬です。一時的ならともかく、代謝を止め続けてしまうと、組織の壊死や障害が残って新たな病気にかかってしまいます。新薬による治療はこのような理由からお勧めできないのです。手間がかかっても元通りの代謝ができる状態にもどすほうが賢明です。慢性の頭痛持ちの方でも頻繁に鎮痛剤を服用することはあなたの体のために避けるべきです。


現在の新薬開発は幼稚な発想の極致

そもそも新薬の大半は、自然の生薬の薬効や、有効成分のスクリーニングから出発しています。ところが自然はうまくできたもので、一般に薬効が強くて毒に近い効果を示す成分ほど解毒・排泄されやすく効果が長続きしません。


そこで、その薬効を現す時間を延ばすために化学構造に手を加え、解毒・代謝されにくくしたり、薬効を発現するレセプター(受容体)に結合したら離れにくくするなど、自然の摂理に反する化学物質を作り続けています。生物は何億年もの間、体内に入ってくるあらゆる物質を解毒・代謝する知恵と能力を身につけてきましたが、新薬は蓄積してきた知恵と能力を無視して解毒・代謝されにくくして体内に残留させようとします。


したがって短期間の服用ならともかく、長期間服用しているとどんな副作用に見舞われるか想像してみて下さい。長期間服用してよい新薬などひとつもないのです。


新薬開発は全体の代謝を考えないひとりよがり

例えば、ある生薬から痛み止め効果の強力な成分が数種類(仮にA,B,C,D,Eとします)見つかったとします。すると製薬会社は、その中から最も効果の強い成分Aをひとつ選抜しますが、先ほど述べたように効果の強い成分は有効時間の短いことが多いので、化学物質Aに加工を加えて「持続性」という名の「毒」をつくり出します。


ここで本来考慮しなければならないのは、数種類の他の成分(B,C,D,E)は何のためにその生薬に含有されているのかということです。植物は限られたエネルギー代謝の中で遺伝子を読み出して成分をつくっているので無駄なものなど全くないのです。例えば成分Aは成分B,C,D,Eなしできちんと効果を発揮して、きちんと解毒・排泄されるのかということです。


野球に例えると野球チーム9人を有効成分と考えた場合に、優れたイチロー選手がいたとして、他の8人の選手が全員草野球のシロウトだとしたらどうでしょうか?戦えますか?実力を発揮できますか?代謝も薬効もチームプレーなのです。ましてイチロー選手だけ取り上げて特別メニューできたえ上げれば、どこのチームに入っても必ず実力を発揮できるでしょうか?やはりイチロー選手のレベルに見合ったチームプレイヤーがメンバーであることが必須条件です。イチロー選手だけに目を向ける考え方は全体として働くチームプレーを全く考えていません。


新薬開発とはこのようなことなのです。一般に自然の生薬は1つ有効成分が見つかると、ほとんど似た成分が数種類~数十種類必ず含まれています。他の似た成分全体は、1つの有効成分とのチームプレーを必要としています。これらを野球チームで考えると、ひとつの目立つ成分だけを取り出すことが無意味で、危険性も有効性も考慮していないかおわかり頂けると思います。


ひとつの成分で発ガン性・急性毒性・慢性毒性・有効性等を緻密に研究しているなどという発想が、いかに全体の代謝を考慮しない幼稚な発想であるかを知るべきです。「生薬の麻黄」と「含有成分エフェドリン」を同じに考えるのは適切ではありません。


新薬と漢方薬の違いを簡単に述べると

新薬と漢方薬は、原料が石油か自然の生薬かの相違ではありません。その作用に決定的な違いがあります。


漢方薬は発汗作用や大小便の排泄を促す等のように、代謝に「流れ」をつけるのが作用のメインです。一方の新薬の場合は痛み・炎症があれば、それを止める鎮痛剤・抗炎症剤を、あるいは何かの検査項目に異常があれば、それを抑える薬を与える作用がメインです。


つまり代謝を止めて検査項目の数値が正常範囲内に収まるようにするわけです。ですから一般に新薬は対症療法と呼ばれるように病気を治しているわけではありません。以上を要約して新薬と漢方薬をそれぞれ「漢字一字」で表現すると、下記のようになります。


 「新 薬」・・・【止】・・・代謝を止める
 「漢方薬」・・・【流】・・・代謝に流れをつける


確かに痛み・炎症があれば止めたくなるのはわかりますが、痛み・炎症は、生物がその部位を治そうとしている治癒反応ですから、新薬で短期間に少しだけ抑えるのなら止むを得ませんが、長期間にわたって代謝を止めてしまうと、危険だからという理由だけで村にもどるのを阻止された中越地震後の山古志村と同じように、局所がもとにもどらない組織になって傷みます。


漢方薬はその人自身の代謝・免疫力を上げて、自立した正常な代謝にもどす手伝いをしています。ですから種類にもよりますが、漢方薬は新薬よりも長期間服用した方が好ましい場合が多いのです。このように新薬と漢方薬は簡単に言うと正反対の作用を有する薬物なのです。


「治癒」とは薬を服用しなくても健康でいられる状態にすることですから、新薬で体調をコントロールする(例えば血圧・血糖値やコレステロール値を新薬で一生コントロールする)などというのは、患者の代謝の自立性を全く無視しているために絶対に「治癒」には到達しませんから「治療」とは呼べません。

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